HOME > <フルバージョン> ※<最新概略版はこちら> 2010年12月10日 北見市長 小谷 毎彦 様 オホーツク近代化歴史街区(MOHB※)構想を提案します。 ※Modernized Okhotsk Historical Blocks ふるさと銀河線沿線応援ネットワーク 代表 小川 清人 はじめに ー今、近代化の歴史を残す意味― かつて、ふるさと銀河線が走っていた南仲町、中の島町、常盤町、北光社などの地区は北見の開拓と近代化の歴史を伝える歴史的街区といえるでしょう。 蝦夷地開拓を目指した坂本竜馬につながる北光社移民団の入植地・「北光社」、これと時を同じくして屯田兵の大隊本部が置かれた「とん田公園」、世界一の栄華を今に伝える「ハッカ記念館」、日本一の玉ねぎ生産を支える「倉庫群」、そして管内最初の鉄道となった網走線の最後の姿を残す旧ふるさと銀河線「検修庫」。北見の歴史を語るときに、決して外す事のできないこれらの施設やモニュメントは単に北見市ばかりでなくオホーツク地域の近代化の歴史を、更には日本の近代化の一つの実相を物語る存在でもあります。 「北海道には歴史がない」とよく言われます。先住民族の歴史を除けば、確かに明治を超えて遡る歴史は持たないとしても、それゆえにこそ北海道の歴史は「日本近代化の歴史」を純粋に語れるものにほかなりません。しかもそれは随所に残された遺産とその時を生きた証人によって、リアリティとある種の痛みを持って語ることを可能にするのです。 入植一世達とともに暮らし、その暮らしぶりと思い出を語れる人々はまだまだ存命です。近代化を支えた機械道具や工場建物は動いてはいないけれど、そこで働きそれを動かしていた人々はまだ健在です。 今、多くの日本人が「近代化遺産」に目を向け、その地を訪ね、もう一度近代化の歴史に向き合おうとしています。それは単なる郷愁ではなく、無秩序で方向性の見えない現代に生きればこそ、様々な功罪を伴いながら歩んできた近代化の歴史の中に、未来への教訓や導きとなる意味と価値を見つけようとするからなのです。 しかし、残された時間はありません。近代化の歴史を「リアリティと痛み」をもって語ることのできる人々は既に齢80歳の半ばを過ぎてしまいました。あと5年の後にさえ、鮮明な語りをとどめておくことはできなくなるかもしれないのです。 ことは今着手されなければなりません。旧ふるさと銀河線の跡地と検修庫の利活用が検討されている「今」が、貴重な遺産を保持するために我々北見市民に与えられた最後のチャンスになるかもしれないのです。 ふるさと銀河線の跡地と検修庫の利活用にあたっては、北見そしてオホーツクの近代化の歴史の実相を視覚的および体感的に追体験できる街区=「オホーツク近代化歴史街区」として、隣接する歴史的施設やモニュメントとともに整備することを提案します。特に検修庫については「鉄道」をテーマにオホーツクの近代化に係わる資料、情報、物品を収蔵・公開する施設とし、更に市内及びオホーツク各地に存在する近代化の「遺産」や「現場」とを結ぶオホーツク近代化遺産観光の情報拠点(=ハブ)として機能する施設にすることを提案いたします。 旧検修庫の複合的活用:鉄道資料博物館・観光情報交流拠点・イベント施設 旧検修庫の床面積は約1760u、車両置き場だけでも約1300uの広さを持ち、倉庫・部品室・作業室・機械室など多くの区画された部屋を持っています。これらの広大な空間と多数の部屋を再区分することによって、オホーツク及び北見観光の拠点として複合的に活用することを提案いたします。 <オホーツク鉄道歴史資料・博物館としての活用> かつてオホーツクは鉄道の王国でした。1911年(明治44年)の網走線淕別−野付牛間開業に始まり、SL運行の最期を担った国鉄各線、軽便鉄道湧別線、置戸・温根湯・丸瀬布・濁川の森林鉄道、イトムカや鴻之舞の鉱山鉄道、鴻之舞と紋別を結んだ鴻紋軌道、殖民軌道斜里線、私鉄北見鉄道、東藻琴村営鉄道など、オホーツクは海岸線から内陸の山奥まで、鉄道路線の網の目が張り巡らされていました。これら鉄道の盛衰はまさにオホーツク近代化の歴史をそのまま語るものです。 とりわけ、北見市には国鉄時代に機関区や運転区が置かれたこともあり、当時を語れる多くの国鉄OBが健在で、重要な記録資料もまだ散逸を免れています。また、ふるさと銀河線関係資料も数千点を超えるものが北見市に譲渡されているのです。 私たちは検修庫内を区分し、ここに「オホーツク鉄道歴史資料・博物館」(仮称)を置くことを提案します。この「資料・博物館」をどのように運営するかは以下の通りです。 「資料・博物館」は国鉄やふるさと銀河線のメモリアルだけには止まりません。かつてオホーツク中を駆け巡ったあらゆる鉄道の歴史を網羅し、オホーツクの鉄道遺産の体系的な資料館・博物館として機能させます。「鉄道」というテーマからオホーツク近代化の歴史物語を来館者に伝えるとともに、丸瀬布の雨宮号や越川陸橋、各地の森林鉄道跡など、オホーツク各所に点在する鉄道遺産現場を訪ねた人々がこの資料館・博物館に足を運ぶことによって、目で見たものを知識化し体系化することができます。「遺産現場」での感動や感慨をより深く定着させてくれる施設として全国的にも高い評価をうけることとなるでしょう。 北見市内には現在4台のSLが静態保存されています。この他にも個人所有の極めて希少かつ貴重な国鉄時代の車両も存在しています。この個人所有車両の除雪車や郵便車などは北海道の発展をなしとげた象徴として、歴史的にも価値の高い車両です。この個人所有車両の寄贈を受け、これらを検修庫内に収蔵し、国鉄OBらが「歴史の語り部」となって車内や運転台を案内します。更にはこの施設と連動して市内の「三治公園」、「SL広場」にあるSLの運転台も同様に国鉄OBが案内することとします。これによりこれらの施設と車両の魅力は一挙に高まり、多くの鉄道ファンや観光客を全国から呼び込むことが可能となります。 「資料・博物館」は、国鉄OBや森林鉄道に関わった林野OB、更には市内・全道・全国のボランティアの支援を受けます。「支援する会」等を立ち上げ、会費や寄附を募るとともに、技術や労務の提供を受けて車両の整備を進め、ディーゼル車両については内燃機関の動態復元、ラッセル車については雪はね部の可動化をめざします。 ふるさと銀河線を走った想い出の車両もまた北見市内の個人が所有し残されています。白を基調にしたCR型車両の車体はハッカ記念館の色調とよく調和します。このCR型車両をハッカ記念館に近接した野外に展示することで、北国らしい爽やか風景を再現することを提案いたします。 更には、この資料館・博物館の最大の特徴として、オホーツク各所に残る「鉄道遺産現場」を結びつけるハブ(拠点)となり、遺産現場の発掘、現場情報の提供、現場へのガイド、あるいは地元の保存会や地元住民との連絡連携を行うことを提案いたします。この機能を持つことによって、資料館・博物館は「ただお客を待つだけの静かな施設」ではなく、積極的な情報発信や人的交流を図り、旅行会や探訪会を主催するなど、多くの来館者を自ら作り、またオホーツクの新たな観光テーマや観光資源を作り出す創造的施設として機能させます。その具体的提案が次に提案する「オホーツク体験観光情報プラザ」(仮称)の設置です。 <オホーツク観光の新たなテーマ創造とその情報交流拠点としての活用> オホーツク観光の潮流は従来の「一泊二日の団体バスで景勝地を駆け巡るツアー」から旅行者が自ら考える旅へと変わろうとしています。 斜網地区においては、東オホーツクガイド協会を中心に、個人やグループを対象にした滞在体験型ツアー、自然体験ツアー、農家交流型ツアーが確実な広がりをみせています。 遠紋地区においては、白滝地区の黒曜石ジオパーク認定や鴻之舞金山・上藻別駅逓の保存活動等との観光連携が始まっています。また「オホーツク自然公園構想」が提唱され、一次産業に基盤を置き、オホーツクの風土や土着性、歴史性に根ざした内発型の観光開発が取り組まれています。 こうした取り組みは、観光客を「大量に流入し・通過する存在」としてではなく、一定期間オホーツクに滞在し、しかも複数回にわたりオホーツクを訪問してくれるリピーターとしてとらえています。そうした旅行客が求めているものは、旅のテーマ性であり、ガイドブックにはない人・もの・感動との出会いです。 私たちネットワークは、過去3年連続して「ふるさと銀河線沿線応援ツアー」を開催してきました。1回目のテーマは「置戸森林鉄道跡探訪」、2回目は「温根湯森林鉄道跡と旧士幌線巨大アーチ群探訪」、そして3回目は「網走線開削殉難跡探訪」。それぞれに当時その現場で働いた人などをガイドに迎え、また地元住民に「食の提供」をお願いするなど、事前の緻密な調査と地元の心温まる協力・受け入れ態勢によって大きな感動を生み、首都圏・関西圏・道央圏などから毎年のリピーターを呼び寄せています。 そうした旅の組み立てや手配は大手旅行代理店では不可能です。地元のガイドや民宿などの個人、NPOや地元のグループ、市町村の観光協会など、現場に密着した人々による相互の情報発信と共有化、すなわちネットワークの形成が必要になります。現にこうしたネットワークを持った旅行社が実績を上げ多方面から注目を受けるまでになっています。 そのようにオホーツク全体をネットワークする拠点として、「オホーツク体験観光情報プラザ」(仮称)を旧検修庫内に置くことを提案します。オホーツク各地の体験・滞在型の観光情報を相互に収集・発信し、旅行者に対しては、これらの情報提供とあわせて、「廃線鉄路」や「産業遺産」、「自然環境」、「農業体験」、「食体験」等様々なテーマに応じた旅行プランの企画提案や受け入れ先手配などのサービスを提供します。 このようにオホーツク体験・滞在型観光、個人観光の情報交流拠点となる機能を発揮することによって「プラザ」は文字通り「頼れる拠点」として多くの個人旅行者が集う場所となります。 <新しい北見観光を担うボランティアガイドの活動拠点としての活用> 「北見観光」の視点からも、「近代化」というキーワードは新たな可能性を生み出してくれます。「北光社農場本部跡」と「ピアソン記念館」、そして「たまねぎ」を結びつけるものは、北海道の開拓とその後の近代化に果たしたキリスト者の倫理観・世界観、そして生活様式です。「旧ふるさと銀河線検修庫」、「SL広場」、「山の水族館・郷土館」、「イトムカ鉱山」これら現状では「点」としてしか認識されない施設やモニュメントを「線」でつなぎ、「面」として結びつけるものも「近代化」というキーワードです。 北見観光を「点から面へ」転換するもの、市内に点在する観光資源を結び付けてくれるものが「近代化の物語」であり、それを語ってくれる「語り部」です。そしてその「語り部」のつむぎだす物語を記録し、継承し、旅行客に伝える観光ボランティアガイドが新しい北見観光の「要」となります。 近代化に関わる様々な実相をそのテーマごとに語り伝えるためには、「語り部」自身に観光ボランティアガイドを担っていただくことが最善です。しかしそれには限界があり、テーマ毎の専門的な観光ボランティアガイドの育成と配置が必要になります。その活動拠点として、また旅行客の要望に応じてガイドの派遣をするための常駐拠点として「オホーツク体験観光情報プラザ」(仮称)を活用することを提案いたします。 <屋内・屋外およびその両用が可能なイベント広場としての活用> 旧検修庫およびその外側の広い空間を利用することによって、屋内・屋外およびそれを両用することで多彩な形式のイベント開催が可能になります。検修庫の中と外をつなぐことでイベント開催時の雨天対策にも容易に対処することができます。 オホーツクの観光拠点として、また周辺に玉ねぎ倉庫群を持ち、毎週日曜日に「かあさんの朝市」が開催されるという地域の個性を前面に出し、食と観光に特化したイベント会場とすることがもっとも身近で、すぐにでも広く活用されることと考えます。将来においては、規模拡大が予想される「オクトーバーフェスト」や「地産地消フェスタ」の会場として、また、さまざまな「収穫祭」、「オホーツクマルシェ(市)」、「かあさんの朝市」に連動した「北見マルシェ」(仮称)の開催などに活用することによってこの広場の個性を発揮させることを提案いたします。 ハーブプロムナード&ハーブガーデンの整備と「食」施設の併設 はっかとハーブは北見の街を象徴するものです。香りゃんせ公園は広く知名度を得て、全国のハーブファン憧れのスポットでもあります。かつて、北見の街なかにははっかの風が吹いていました。もう一度ハーブの風を吹かせるためにも、ハッカ記念館と連動した「ハーブプロムナード&ハーブガーデン」を整備し、春から秋まで途切れることなくハーブの花と香りが楽しめる計画的な植え付けと管理が行われるべきです。 「ハーブプロムナード&ハーブガーデン」は多くの市民や観光客が憩える場となります。ゆっくりと散策し、香りの中で比較的長い時間の休息を楽しめる場とするためにも、ここにハーブティーハウスやハーブレストラン、ハーブショップを併設するよう提案いたします。 ティーハウスやレストランは食材としてのハーブの活用を促し、ハーブ料理を「新しいオホーツクの食文化」として育て上げるものです。とりわけレストランは北見およびオホーツク圏の海の幸や有機野菜・無農薬野菜などハーブのイメージに沿った安心安全な食材の利用を前面に押し出し、一次産業と食と観光を一体化した「オホーツク六次産業化」のシンボルとして、「このレストランで食事をすること」自体が観光の目的といわれるだけの「味とグレード」を持つ必要があります。 歴史公園としてのとん田公園の再整備 とん田公園はかつて屯田兵の大隊本部が置かれた場所です。野付牛屯田兵の歴史を語る時これほどに最適な場所はありません。この地には現在中央図書館が置かれていますが、その移転(決定済み)にともない、この公園の再整備が可能となります。 とん田公園の歴史性、周辺街区の歴史性を体現する公園として、将来にわたる長期的展望のなかで計画的再整備を進めるべきです。 更に、これに近接した広大な緑地帯である「石北大通り」、その一角を占める「SL広場」についても、とん田公園との連続性・一体性を持った公園として再整備し、その活用についても検討を行うべきです。 北光社地区へのアクセスロード整備と北光社開拓記念館の建設 北見開拓の祖は北光社移民団です。しかし、屯田兵に関する遺産の保存度に比べ、北光社移民団に関する遺産の保存や情報発信は見劣りすると言わざるを得ません。北光社移民団はまさに日本近代化の先駆けを成した幕末の志士達につながるもので、個々に掘り起こされている北光社移民団の歴史資料を整備することは、日本近代化の意味とその諸相に新たな一ページを付け加えるものになります。 そのためにも、北光社開拓記念碑群周辺に市民や観光客が訪ねるに足る資料館・記念館を建設し、併せて旧ふるさと銀河線の路床を北光社開拓記念碑周辺へアクセスする遊歩道あるいはサイクリングロードとして整備すべきです。 「点から面へ」、北見観光の転換を担う語り部ガイドとNPOを主体とする官民協働の施設運営 オホーツク観光の潮流が団体パックツアーから個人ツアーに確実に移行しているなか、これからの北見観光も、単にモニュメントや施設を作ってお客を待つ、あるいは複数の観光ポイントを巡るだけの「点の観光」から、風土や歴史、産業や生活様式、健康、自然体験、農業体験など旅行者の興味関心を充足させる「面の観光」へ、更にはそこに「人」との出会い、「食」との出会いを加えた重層的で「立体的な観光」へと発展させていくことが必要になります。 この「点から面へ」の転換を担う要の役割を果たすのが観光ガイドです。しかもこの場合の観光ガイドは、それぞれの分野での専門的知識や経験を持った「語り部」でなくてはなりません。道端に置かれた一つの石でさえ、そこに隠された秘密が語られるとき、旅人は大きな感動と印象を心に刻むことができるのです。 「語り部」としての観光ガイドを確保するためには、多くの人々にボランティアとして活動していただくしかありません。また、高齢となった「語り部」からはその物語を若いボランティアが引き継がなくてはなりません。 これらを実施するために新たなNPOの立ち上げを提案します。このNPOは北見観光協会、香り彩るまちづくり推進機構、鉄道OB会、林野OB会などの支援協力を受けるとともに、会員やサポーターを北見市民はもちろん全国から募り構成します。北見市の計画案にも示されている「官民協働の取り組み」は、このNPOが主体となって推進することと考えており、その際には以下の3点で北見市の協力を求めます。 <市民提案の作成とマスタープランへの反映> 市民がNPOやボランティア団体を設立し、各種活動の実績を積む中で作られる提案は、実現性が高く、市民の理解も得やすいものです。「先導的事業ゾーン」で作成する「地域一帯のマスタープラン」および実行プランに、この市民提案を反映させることが、協働の取り組みへの第一歩です。市民提案を協議する場としては、次の協議会を活用することが望まれます。 <市民・行政・関係機関の役割分担と運営協議会の設置> 計画段階への市民提案の反映や、施設整備後の維持運営、運営に関わる人材育成を官民協働で継続させていくには、関係機関による運営協議会の設置が不可欠です。ハーブガーデン、交流広場、鉄道資料館・車両といった複合施設の場合、NPO・ボランティア団体で維持運営するには部会のような方式をとり、部会間及び行政との定期的な調整・協議の必要性が生じます。国の制度でも、交通や河川のような、様々な利害関係者との調整・協議が必要な分野を中心に、最近では協議会方式が採り入れられることが多くなっています。 <協働推進のための資金確保> NPO・ボランティアがガイド活動を担うためには、その費用を賄うための収益が必要になります。「オホーツク鉄道歴史資料館・博物館」の入館料や「オホーツク体験観光情報交流プラザ」による有料ガイドの派遣や旅行手配料、「ハーブティーハウスとハーブショップ」の収益をこれに充て、ボランティアの人々にそれらの運営を担ってもらうこととします。更には「ハーブプロムナード&ハーブガーデン」の植え込みや管理の委託、イベントホールの管理委託を受けることにより収益の一定部分を確保するとともに、新たな収益を生み出す仕組みや事業の展開を常に行います。 可能ならば、運営資金は基金の形とし、行政の補助金や市民・民間団体からの寄付金も受け入れられるようにします。また、コミュニティ・ファンドや地域通貨の発行といった、地域レベルで資金を増やしていく多様な仕組みの導入も、基金を設けることにより可能となります。 各案の主要施設のうち、ハーブガーデンは継続的な手入れが必要となるため、主に地域のリピーターが集まります。交流広場は主に地域のNPO・ボランティア団体の交流拠点となり、イベントの開催により大勢の人が集まります。鉄道資料館・車両は施設の補修や維持管理、解説などの活動が必要となり、地域のみならず全道・全国のリピーターを集める可能性があります。これらの複合施設を運営することで、地域の方々と全道・全国の方々との交流の場ができ、地域活性化の核となります。特に全道・全国のリピーターを集めることのできる、鉄道関係の施設は、「先導的事業」には不可欠な要素です。 最後に 私どもネットワークはふるさと銀河線の廃線によって、旧沿線地域の衰退が始まることを懸念し、「廃線後にこそ沿線地域への支援が必要だ」との思いから、代替バスの運行動向を見守るとともに、沿線観光を支援する取り組みを進めてきました。 その一環として、昨年5月には検修庫を含むふるさと銀河線跡地周辺の観光活用をめざす「産業遺産街区」構想を提案し、本年2月にも当ネットワーク会員の提言書を小谷市長にお届けしておりました。今回の提言は北見市が示した旧検修庫活用に関するA案〜C案は「同時実施が可能」であるとの基本的考えから、今までの私どもの提言を土台に、より多様な活用を図ることによって、オホーツクそして北見観光の新しい展開が可能であるとして組み立てたものであります。 私どもの提言は、これらのものが「実現して終わり」の提言ではありません。むしろこの「実現」から全てがスタートします。提言に盛り込んだ事業はNPOとそのNPOに集うボランティアによって運営され、オホーツク各地で活動する個人やグループ、団体とのネットワークによって中身が作られていきます。つまり、ボランティアの活動やネットワークの拡充が、多くの人々をここに呼び寄せる魅力を高めてくれるものとなります。 全て「物事の成否」は、予め定まっているものではありません。「成功」とは、それに関わる者の志と覚悟の高さを礎とし、目的達成に向かってなされる不断の努力と知恵の発揮によってこそもたらされるものであると考えます。物事を成功に導く唯一の力、私たちにはその志と覚悟があります。 2012年9月 オホーツク近代化歴史街区(MOHB※)構想を提案します。 ※Modernized Okhotsk Historical Blocks ふるさと銀河線沿線応援ネットワーク 代表 小川 清人 はじめに:「近代化の歴史」を伝える街区整備を かつて、ふるさと銀河線が走っていた南仲町、中の島町、常盤町、北光社などの地区は北見の開拓と近代化の歴史を今に伝える歴史的街区です。 坂本竜馬につながる「北光社」、屯田兵の大隊本部が置かれた「とん田公園」、世界一の栄華を今に伝える「ハッカ記念館」、日本一の玉ねぎ生産を支える「倉庫群」、そして管内最初の鉄道となった網走線の最後の姿を残す「旧ふるさと銀河線検修庫」。北見の歴史を語るときに、決して外す事のできないこれらの施設やモニュメントは、北見市ばかりでなく、オホーツクの、更には日本の近代化の一実相を物語ってくれます。 ふるさと銀河線の跡地と検修庫の利活用にあたっては、跡地や検修庫そのものをスポットとしてとらえるのではなく、隣接する環境・歴史的施設・モニュメントとともに近代化の歴史を追体験できる街区=「オホーツク近代化歴史街区」として、長期的展望の中で整備することを提案します。 旧検修庫周辺を三つの機能を持った複合的施設に 観光情報交流拠点・鉄道資料博物館・イベント施設 旧検修庫の床面積は約1760u、車両置き場だけでも約1300uの広さを持ち、倉庫・部品室・作業室・機械室など多くの区画された部屋を持っています。これらの広大な空間と多数の部屋を再区分し、更には検修庫への引き込み線跡地を整備することによって、オホーツク及び北見の観光拠点として複合的に活用することを提案いたします。 @SIT(Special Interest
Tourism)に応える観光情報交流拠点として 北海道観光、オホーツク観光の潮流は従来の「一泊二日の団体バスツアー」から個人旅行者中心に大きくシフトしています。 個人旅行者の旅行スタイルはSIT(Special Interest Tourism)といわれ、特定の興味関心に基づき、自ら情報を集め、計画し、手配する旅に変わっています。 オホーツクにはSITのための多くの素材やプログラムがありながら、それらの情報を収集、発信、共有し、オホーツク各地の遺産観光・体験観光・滞在型観光に携わる保存会やNPO、観光ガイド達が協働できるネットワークがありません。 そこで私たちは、旧検修庫内に「オホーツク体験観光情報プラザ」(仮称)を置くことを提案します。オホーツク各地の遺産観光・体験観光・滞在型観光に携わる人々や組織と連携し、各地の情報を収集・発信しあい、旅行者に対しては、関心あるテーマに応じた旅行プランの企画・提案や受け入れ先手配などのサービスを提供する観光情報拠点とします。 A重要な観光資源となるオホーツク鉄道史の総合的資料館・博物館として 昨年、本年と2年続けて「SLオホーツク号」が運行され、そのチケットはわずか15秒で完売する程の人気を博しました。昨年はJR北海道が旧湧網線の跡地及び越川陸橋跡を訪ねるツアーを組み、首都圏・道央圏から多くの参加者を集めました。 滝上では、札幌の旅行社と観光協会が一体となり「濁川森林鉄道跡」を巡る観光プログラムを実現しました。遠軽町では、まちおこしグループが「武利意森林鉄道廃線跡地を歩く会」を主催し、生田原の「北の王金山跡」へのガイド活動もはじまりました。今秋にはこれらを巡るツアーが計画されています。紋別では、住友鉱山の支援も受けた鴻之舞金山跡・旧鴻之舞地区の整備と公開が進められ、「鴻紋軌道」への関心も高まっています。この他にも置戸森林鉄道、温根湯森林鉄道、札弦森林鉄道など産業遺産と鉄道遺産はオホーツク観光の新たな資源になろうとしています。 私たちは旧検修庫内に「オホーツク鉄道歴史資料・博物館」(仮称)を置くことを提案します。この「資料・博物館」は旧国鉄やふるさと銀河線のメモリアルにとどまりません。かつてオホーツク中を駆け巡った森林鉄道や鉱山鉄道、村営鉄道などの歴史を網羅した施設とします。更には「オホーツク体験観光情報プラザ」と協力し、オホーツク各所に点在する鉄道遺産の現地関係者・ガイドと連携した鉄道観光の情報交流拠点として機能させます。 ここに丹尾氏が持つ国鉄時代の車両を収蔵し、国鉄OBらが「歴史の語り部」として、車内や運転台等を案内します。特に検修庫の特質を活かし、車両下部を下から見る展示方法は全国的にも注目を集めることになります。更には市内の「三治公園」、「SL広場」にあるSLの運転台も同様に国鉄OBによってガイドします。これによりこれらの施設と車両の魅力は一挙に高まり、多くの鉄道ファンや観光客を全国から呼び込むことが可能となります。 B屋内・屋外およびその両用が可能なイベント広場として 旧検修庫の屋内・屋外およびそれらを両用することで多彩な形式のイベント開催が可能になります。 ここを「オクトーバーフェスト」や「地産地消フェスタ」の会場としたり、さまざまな「収穫祭」、「マルシェ」、「朝市」に連動し、新たな「北見マルシェ」(仮称)を開催するなど「食と観光」をテーマとするイベント会場としてこの広場の個性を発揮させることを提案します。 ハーブプロムナード&ハーブガーデンの整備とハーブレストランの併設 かつて、北見の街なかにははっかの風が吹いていました。もう一度北見の街なかにハーブの風を吹かせるために「ハーブプロムナード&ハーブガーデン」を整備し、さらにはハーブティーハウスやハーブレストラン、ハーブショップを併設するよう提案します。 食材としてのハーブの活用を促し、ハーブを「新しいオホーツクの食文化」として育て上げます。レストランは「このレストランで食事をすること」自体が観光の目的となるだけの「味とグレード」を提供します。 歴史公園としてのとん田公園の再整備 とん田公園はかつて屯田兵の大隊本部が置かれた場所です。野付牛屯田兵の歴史を語るのにこれほど最適な場所はありません。 新図書館建設にともなう旧図書館についても、とん田公園を「歴史公園」として長期的に再整備することを前提にその活用を検討すべきです。 一大グリーンプロムナードの形成 石北大通りから、北光社まで 石北大通りは緑豊かなプロムナードとして大きな魅力を持っています。対面にあるハッカ記念館や検修庫周辺跡地との間には国道39号線がはだかり、連続性・一体性を閉ざしていますが、国道を跨ぐ歩道橋の建設し、更に北光社までの路床を緑と共に整備することで一大グリーンプロムナードが形成されることになります。 北光社地区へのアクセスロード整備と北光社開拓記念館の建設 北見開拓の祖は北光社移民団です。北光社移民団の歴史資料を整備することは、幕末の志士につながる日本近代史と北見史をつなぐものです。 北光社開拓記念碑周辺に資料館・記念館を建設し、併せて旧ふるさと銀河線の路床をそれへのアクセスロードとして整備すべきです。 「点から面へ」、北見観光の転換を担う語り部ガイドとNPOを主体とする施設運営 これからの北見観光は単にモニュメントや施設を作って客を待つ、あるいは複数の観光ポイントを巡るだけの「点の観光」から、旅行のテーマ性や旅行者の興味関心に基づく「面の観光」へと発展させていくことが必要です。この「点から面へ」の転換を担う「要」となるのが、様々な分野での専門的知識や経験を持った「語り部」としての観光ガイドです。 「語り部」としての観光ガイドを確保し、活動していくためにこれらをスタッフとする新たなNPOを立ち上げ、これに「オホーツク体験観光情報交流プラザ」「オホーツク鉄道歴史資料館・博物館」、「イベントホール」、「ハーブレストランやハーブショップ」の運営管理を任せ、収益とすることを提案します。観光協会や香り彩るまちづくり推進機構などの市民団体、鉄道や林野のOBなど様々な専門知識と経験を持った人々の支援協力を受けて、これらの事業を実施します。 |